新井美千子(アライミチコ)
1955年3月7日生まれ B型 埼玉県在住
二人暮らし(夫)
山歩き(登山)インストラクター(山岳ガイド)
ピラティスインストラクターです。
好きなこと 山スキー・お花を触ること・抹茶を点てること
好きなタイプ 明るい人 さっぱりした人 諦めない人 楽しい人 好奇心旺盛な方
ミッチーイズム倶楽部代表の新井美千子 “ミッチー”と呼んでください。

『一生自分の足で歩ける体作り』を掲げています。

たくさんのホームページの中から訪問していただきありがとうございました。
50歳後半から身体改革をした自分の経験をもとにして、50歳過ぎても、身体は変われるという実証があります。
普段の生活が楽になり、山歩きが楽しくできる身体作り、将来に希望が持てる身体作りを応援しています。
山岳ガイドを30年以上経験し、2012年9月、57歳で出会ったピラティスで、姿勢、身体の動かし方を学びました。
60歳を過ぎた2015年6月ピラティスインストラクターになりました。
64歳(2019年)でアメリカ・ボルダーにて解剖実習をする機会を得ました。
何も運動をしてこなかった私が20歳後半から、本格的な登山をはじめましたが、無理に身体を使い、身体の事に無知であった事で、身体を壊しました。身体の事を知った今は、身体の動かし方、姿勢改善、山歩きの前後の運動、休憩の仕方など生かしております。
健康な体作りを応援しております。
山歩き教室の再開について強い思いがあります。
山歩きが好きな方に伝えたいと立ち上がりました。
老化はすべて加齢によるものだと思っていませんか?
老化は体を動かさないと加速することも学びました。
ピラティスで学んだことを基に、普段の生活。姿勢改善、食生活、睡眠、運動、履物、枕などにも少し気をつけるだけで、身体が変わって行くことも私が実証しています。
運動には山歩き。
身体のメンテナンスにはピラティス。
埼玉県近郊を中心とし、活動の場を設けています。
華道、茶道など和の事など、和装姿が好きな女性でもあります。
(経歴)
1985年 古流華道師範・裏千家茶道茶名 取得
1990年 日本山岳ガイド協会 山岳ガイド 認定
1995年 M&M倶楽部 登山教室設立(山歩き教室)
2003年 ミチコと山に行く会設立(地元での山歩き教室)
2004年 クラブツーリズム山歩き教室講師
2010年 裏千家茶道準教授 取得
2012年9月 ピラティスに出会う
2014年9月 Beginner Pilates Japan Mat Instructor
2014年9月 Intermediate Pilates Japan Mat Instructor
2015年6月 Advanced Pilates Japan Mat Instructor
2015年9月 Reformer Pilates Japan Mat Instructor
2015年12月 Combination Machine Course(Pilates Arc +Ladder+CADILLAC)
2015年1月 ミッチーイズムピラティス設立(ピラティス教室)
2016年4月 Form Roller & Circle Instructor
2018年1月 UNLV D K University of Nevada, Las Vegas
MAT WORK Ⅰ&Ⅱ CERTIFICATE OF COMPLETION
2019年1月 ミッチーイズム倶楽部に名称を変更(ピラティスと山歩き)
2019年4月 アメリカ・ボルダーにて解剖クラス参加
2019年12月 UNLV D K University of Nevada, Las Vegas
Reformer
2020年1月 1期生登山学校を開始
2020年4月 オンラインピラティス開始
2020年11月 1期生登山教室再出発
2021年1月 UNLV D K University of Nevada, Las Vegas
キャデラック

私の生い立ち【目的のない幼少期から青春時代】
幼い頃から両親、姉を頼って、何事も自分で決められない少女でした。
それには小さい時大きな病気をしたことがきっかけです。親も決して甘やかすつもりはなく、子供への責任があったのでしょう。年の離れた末っ子の私はいつも家族の中心で、家庭愛の中で育っていきました。
ただ一つ
音楽だけは幼少時から好きな事で、オルガンからピアノを習い、鼓笛隊で横笛や縦笛が得意で、中学になりフルートを吹いていました。合唱コンクールに選ばれたりもしていました。しかし、何事にも自信がなく、進学にも消極的で進む道も家族に決めてもらっていました。
全て、自分の病気が劣等感であったのではないかと推測します。
ずっと続けていたピアノもあり、子供が好きだったので保育園の先生になろうかな?と思ったりもしていましたが、弱い意志で断念しました。
【やっと出会った生涯の趣味】
19歳の秋、友達の誘いで、神奈川新聞で募集していた尾瀬ハイキングに行くことになりました。
靴はキャラバン、ズボンはニッカズボンとそのころの恰好です。学生でお金も無く、すべて借り物で行った覚えがあります。
夜行列車で行き、一泊二日の山旅でした。始めての尾瀬は雪が降り始め、素晴らしい自然に出会いました。今でもその光景が忘れないくらいです。
その時始めて自分の意志で決めて、横浜ワンダーホーゲル倶楽部に入り、月一回の日帰りハイキングをしばらく続けました。その頃になると、体調はグングン良くなり、両親も喜んで、山歩きは大賛成でした。
そして人生の転機を迎えたのが、30歳の時でした。
岩崎元朗氏の無名山塾に門を叩きました。
雪山をやりたくて、入会しましたが、沢登り、ロッククライミングとオールラウンドに山中心の生活をするようになりました。
長年行っていた茶道、華道、編物はすべてやる時間がなくなり、両親は悲しみました。無理もありません。家で過ごす時間は全くなく、正月も山に行き、お盆も夏山合宿。金曜の晩からは毎週山行です。家族旅行のすべてに欠席。
やっと出会った自分のしたい事に、全力をぶつけました。幼少期からの何もやる気のない時間を取り戻したいかのように。登山レベルがどんどん上がり、倶楽部の中では、中心に活動をしておりました。
【夢にも思わなかった登山のお仕事】
ヨーロッパ登山の誘いにも、二つ返事でOK を出し、会社では休職をすすめられにも関わらず、退社をしました。
幸運にも20日間天気に恵まれ、ヨーロッパアルプスのメンヒ、モンブラン、マッターホルン、にガイドなしで登頂できました。
日本に帰る時に岩崎氏に登山ガイドになる事を勧められましたが、当時、登山は趣味として活動をしていきたかった事と大きな功績をもたらした訳ではないので断りました。普通の登山者でいたかったのです。
しかし、岩崎氏の言葉で心が動かされました。
「みっちゃんは誰よりも山が好きで、山の楽しさを伝える事が上手に出来る」
と言われたのです。
この時両親、姉たちは猛反対でした。
そんな中、仕事でネパールやブータン、台湾と行き、山の生徒さんが増えていきました。
その頃は、はがきや電話で山のお礼を良くいただいていたので両親はその姿を見て“喜ばれる仕事”をしているね。“安心した”と言われました。父はガンになりその半年後亡くなりした。
しばらくして主人との出会いもあり、私は結婚しました。またその半年後、今度は母があっという間にこの世を去りました。
両親は私の事だけが心配な一生だったのでしょう。
【山歩き教室を展開】

自信も生まれ、誰から見ても積極的で活発な、明るい女性になっていきました。
その後岩崎氏から独立。
主人はヒマラヤ経験もあり、経験豊富で大きな味方になりました。
「M&M倶楽部」と題して生徒は増え続けました。
“一ひねりある企画がすばらしい”と好評でした。
『普通の主婦が普通に山を登る』
『基本が出来ている登山者』
『事故のない倶楽部』を目指しました。
お陰様で大きな事故もなく、30年が過ぎております。
年間半分くらい山に行くこともあり、家では企画に没頭しました。
針治療に行くことが休養の時間となりました。
仕事は49歳がピークでした。女性ガイドが少なかった頃です。
旅行者の登山教室を頼まれ、それまでの生活が一遍しました。
人数が多い事で、疲れが倍僧。声が出なくなりました。
太陽浴びすぎて、目の病気も見つかりました。
【更年期障害に苦しむ】
【天職とまで言われた】山のお仕事。
50歳の7月と9月に喉と目の手術をして元気になったように見えました。
しかし、じわじわ身体が変わっていきました。
疲れが取れない日々、気持ちの浮き沈みが激しくなりました。
イライラして主人や生徒さんに当たり散らしました。
楽しいお酒が愚痴の多いお酒に変わっていきました。
山に行くのが辛くなっていったのです。
【更年期障害でした】
いままでやっていた鍼灸治療が効かなくなり、その後整体しても、3カ月の休養をしても、漢方薬を飲んでも、婦人科でホルモンの調整をしても、前のようなハツラツした女性に戻れませんでした。
「山歩きの仕事は辞めよう」
「趣味の山に戻ろう」
と心に決めました。
【ピラティスとの出会い】

2012年9月、ピラティスに出会いました。
始めてピラティスをした時、これはただの運動ではないと実感しました。
今までに味わったことない感覚でした。
何か、これって違う。
一番変わったのは登山で張り出している腿の太ささに変化が出ました。
気持ちの変化はピラティスに集中する事で、すべて忘れるようになったことです。
2014年5月、人生揺るがす大きな出会いがありました。
坂口加織先生の出会いでしたです。生涯忘れる事ができないでしょう。
ピラティス養成講座です。
養成講座では思いもよらず劣等生でした。
その日を境に【更年期障害】の悩みから、【ピラティスが出来るようになりたい】という目標に変わってきました。
- 年齢の違い(20歳以上)
- 基礎運動をしていない身体に登山という過酷な運動をしたことによる筋肉のアバランスで、姿勢が大きく乱れていました。
福岡を拠点とする「ピラティス ジャパン」に月1回通うようになりました。
熱心な指導で、一年後には誰から見ても姿勢を変わりました。そして何よりポジティブな考え方変化しました。
福岡には、月1回4年通いました、
腰の痛みや鬱の症状もありません。もうどこも悪いところがない。この状態を私は望んでいました。
(生涯の仕事)

50代からのライフスタイルを大事に
50代になり、なんとなく毎日の生活がつらくなった方、それは、もしかしたら運動不足や体の変化です。
趣味や仕事にも疲れたり、家族にイライラしたりしていませんか?
「習慣」や「反復」は毎日の事なので、なかなかハードルが高いです。自分ではなかなか行えないものです。
まず月2回程度のレッンと家で行う簡単な運動をしていきます。
コツコツした行動が体と心を変えていきます。
身体を動かして健康になりたい方 山歩き&ピラティス「山ピラ」
山歩きの基本を身に付け、必要な筋肉を付けながら、怪我のない山歩きが目的です。
仲間と一緒に登る楽しさ。
1人参加が出来る気楽さ。
少人数のグループ。
登山ガイドの引率で安心。
自然、山歩きが好きな人を対象です。
ピラティスの考え方に基づいて、疲れにくい山歩き。怪我を防ぐ山歩き。
準備体操。歩きの途中の運動、メンテナンス体操。
山歩きに必要な筋肉のつけ方を学んでいただいています。
姿勢改善をしながら、山歩きを進めて行く。
膝、腰の痛みを軽減して、歩きやすい身体を作るのが目標です。
山歩きは、登山教室、毎月の企画からお好きなものを選んでいただいています。
対象年令は、40歳後半~60歳前半くらいです。
《おまけ》

食生活では好き嫌いがありませんが、新鮮な食材を好みます。おいしいも食材が好きです。
古風な喫茶店で本を読む時間を大切にしております。
年に数回一人旅をします。夫婦とは少し距離を置くことで、いつまでも大事な存在であることです。
小さいころから動物が怖がりでしたが、縁あって、ミニビーグル犬と一緒に10年生活したことで、動物に対する考えが変わりました。
その10年は私の人生の宝です。
最後までお読みいただいてありがとうございました。